天狗Aの日記

終末世界の広告塔

意欲の残り香

天狗Aです。

 

今更ながらぼっち・ざ・ろっく!のアニメを一話から見ている。

何故かと言えば、まぁ色々ある。

 

まず八景の辺りでコラボがあるらしい。

下北沢に隠れて知名度が低いが、金沢八景もぼっち・ざ・ろっく!の聖地で、私も二年前の冬に自転車で片道四、五時間かけて行ったのを今も覚えている。

せっかくなので行こうという事だ。

 

私はそこそこのぼっち・ざ・ろっく!読者であり、単行本は全巻あるし(まんがタイムきららは買わない。ジャンプも買わない)、某カレーフェスの最高位Tシャツも持っているぐらいには好きだ。

 

(ただし例のワイヤレスイヤホンは買わなかったし、例のmaxのピックも手に入らなかった)

 

話は戻る。

 

何故アニメを一から見ているのかと言えば、それは単純にアニメほとんど見てないからである。

 

何故ならば放送時期が受験期と丸かぶり+存在自体知った時点でもう三話放映後だった物で、序盤のストーリーは単行本で済ませてしまった。

 

そういうわけで、丁度いい機会なので見ているといった所存なのですが、ではこの話の帰結はといえば、ブログのネタとして『今さらぼっち・ざ・ろっく!やってみた』ってのを思いついたんですよ。

 

私とぼっちちゃんの経歴は若干似通っていて、まずギターを始めたのが私は小6でぼっちちゃんは中1、私はぼっちちゃんほど誇張されたものでは無いものの相当な根暗で、そしてぼっちちゃんと同じ帰宅部です。(厳密には三ヶ月間囲碁将棋部)

まぁ、仮想と現実、美少女と凡夫、男と女という越えられない壁はある物の。

 

そんな僕がギターを担いでぼっちちゃんごっこをしようと、そしてその滑稽な様子を画角に収めて皆に嘲笑ってもらおうという企画でした。

 

 

実はこの企画、破綻してるんですよ。

 

何処かわかりますか?

 

 

そうです。どう考えても私が二人いないと写真に収められないんですよ。

 

ぼっちちゃんごっこを本気でやるとなれば、スマホの内カメ、または置いたとしても画角に収めることは難しいと考えられる。

 

つまるところ、誇張されたぼっちの真似事をするぼっちという企画には、写真を撮ってくれる人が不可欠で、しかしながら写真を撮ってくれる人がいる時点でそのぼっちはフェイクになる。

つまりこの企画は思い当たる限り実現不可能という事です。

 

なのでそれを文章にしました。

 

 

うんち