天狗Aの日記

終末世界の広告塔

クソ

こんにちは。天狗Aです。

 

春休みです。依然、寝たきりでぼっち・ざ・ろっく!とかいう神アニメを見ながら自分もギターを弾いて、たまに下北沢に出向いては何もせずに直帰するだけの日々である。

(デッドデッドデーモンズ以下略前編を見たりもした)

 

または、自分でも何故やっているのか分からないインスタグラムとかいうクソアプリで知りたくもない中学の同級生の近況を見ては一人で大暴れしながらこいつはつまんねぇとかこいつは痛ぇとか言いながら自分もカスみたいな投稿をしては自己満足するだけの日々である。

 

当初の予定では勉強でもするかと、この春が私の勉強元年だ!と意気込んではみたものの数学の課題テキストの一問目から驚くほど解けない、しかもそれを理解する為の気力なんて生まれ持ってないので、課題のことは心の内から膀胱へ押し流して、昨昨々晩排泄したところだ。

 

または先ほど友人から電話がかかってきて、お前はお前のために曲を作れとか意味のわからない事を言われ、カスが偉そうにと思いながらもおニューのいんたぁふぇいすに数日間握りっぱなしで弦が変色したギターを接続してソフトを開いて録音してみるも驚くほど上手くいかず、最終的に全部グチャグチャにしてはデータを削除した。

 

そんな事をやっていたせいでこんな時刻(0時14分)に風呂に入るハメになった。

折角生活習慣が安定(薬物有りき)してきたというのにまた壊れるんだ。

クソが。

何も上手くいかないじゃないか。

 

歩いてきた道振り返ると〜。


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不満。

 

ALCHEMY!?こんな終盤で!?

 

下北沢の公園でギター背負ってブランコこいでたら虹夏ちゃんに話しかけられないだろうか。(反語略)

 

 

……………。

 

周りを見回してみると、私みたくほとんど一人で過ごす人って少ない。何故ならば高校生だから。

人生で特段楽しいとされる学生期間だが、私が楽しかったのは中3の夏以降ぐらいのものだ。

他の期間について思い出す事は、辛かった事や思い出したくないことばかりだ。

 

ぼっち・ざ・ろっく!を見ていて、一番違和感を感じた事は、後藤ひとりを取り巻く環境だ。

後藤ひとりに対して無条件で興味を持ち、そして親切で察しが良い。

そりゃフィクションだから当然だと言うのも分かる。正論だ。退屈な正論だ。

しかしながらあの作品の主人公はサブカルナードボッチ(造語)という設定で、私には割と共感できる事が多いからこそ乖離に違和感を感じるのだ。

 

あの作品に言えることだが、つまり一人ぼっち人間は受動でしか変われないという事だ。

だから私も、今を変えるにはギターを背負って下北沢の公園のブランコをこぐ事しかないという事だ。

 

クソが。