天狗Aの日記

終末世界の広告塔

三字熟語に脚光を

こんにちは天狗Aです。

 

なんか三字熟語って不遇じゃないか?と思う。

 

神椿の曲ばかり聞いてるからかもしれないが、曲のタイトルで使われるのは二字熟語が多く感じる。

 

それに、漫画などでの必殺技は四字熟語ばかりではなかろうか?

 

そうでもないですかね?

 

まあ兎に角三字熟語は不遇な気がする。

 

しかしながら三字熟語は良い。三音って若干響きや見た目が奇妙で良い。

 

例えば猿真似。最高である。

 

真骨頂。最高である。

 

阿片窟。意味はともあれ響きは良い。

 

対抗馬。かっこいい。

 

自動車。そこそこ速い。

 

新幹線。速い。

 

飛行機。もっと速い。

 

山月記。読んだこと無い。

 

不死身。なりたい。そしてふ、じ、み、と若干当て字っぽい読み方が無骨でかっこいい!

 

高飛車。語感の良さである。

 

目暗増(めくらまし)。そんな熟語はない。

 

祭憐外(さいれんと)。もはやキラキラネームの領域だ。

 

 

そう。もう思いつかない。

そのぐらい希少性もあるということだ。

 

今回選定したのは真人間や意外性の様な二字に一字を足しただけみたいなのは極力避けた。(尚、飛行機)

 

。(おわり)

善行

高校入学から一ヶ月も経たずに文字通りの青春コンプレックスを発症したおいらです。

 

一年が経った今は色々と変わってきました。

 

まず、普通に鬱になったと思います。

 

注意欠陥多動性障害の症状か、それとも普通に躁鬱なのかは知らないんですけど元々気分の上がり下がりがかなり有った方なんですけど、今はその浮き沈みの沈みの方がかなり強く感じます。

 

一時間前の自分の行動を思い返すだけであれこれ嫌になって内臓が軋むので意図的に記憶にもやをかけてます。

なので最近はとても無気力です。

 

次に、青春コンプレックスを超越する真人間コンプレックスを発症したので、青春コンプレックスは影が薄くなりました。

 

そして、自己嫌悪がとどまるところを知らないです。どこまで遡っても気色が悪くて、自分が自分であることに対して物凄く憎悪を覚えるようになりました。

 

一年前ではあり得ないと思っていた自殺が現実味を帯びてきました。

 

総括すると精神崩壊です。

新学期始まってまだ本当に何も起きてない今、自己嫌悪に限界を感じた私は決めました。

 

善行。

 

善い人間になろうと思います。

正義に従い、己を全うします。

いつか◯◯殺して、◯◯死ぬ。

お前らくたばれ。

美少女を見て病む人

こんにちは。

 

友人の誘いでコンビニで働く美少女を見に行くことになった。

 

その美少女とは中学が一緒だったりするが、関係性はないので特に意味はない。

(どちらかといえば友人の方が顔見知りだった)

 

それはそれは可愛らしい容姿だと思う。人当たりの悪さがかえって魅力になるぐらいだ。

客観的に見てもそう思う。

 

そんなこんなで彼女が立つレジでドデカミンを買って、店を出て、そしたら少し涙が出た。

 

感動じゃない。全くもって、むしろ凄まじく不快な感情だった。

 

 

性的対象が女性の人ならば、同じ経験をしたらば大抵は嬉しく感じるだろう。

あるいは如何にしてお近づきになるか、如何にして手にしてやるかなど考えるだろうと思う。

↑これらは主観的に見た世論である。あらゆるコミュニティから省かれている私なので信憑性は低い

 

 

私についてはどうか。それが本題だ。

 

私にとって“女性”とは、概ね意思疎通不可の生物だ。

同性でも言葉に詰まるのに、異性となると単純な人間への恐怖に加えて種の保存に対するプレッシャーがかぶさって息も出来なくなる。

 

・種の保存に対するプレッシャーとは

かっこつけてこんな変な言い方をしているが、要は「嫌われたらどうしよう」という心情の事だ。

同性に対するそういった感情との違いだが、異性に嫌われるということはつまり種の保存の確率が一減る(要は、嫌われたらばその相手とはえっちな事をするのがほぼ不可能になり、つまり遺伝子を残せないということである)ということなので、単純な心情よりも深い生物的感情での恐怖であるという違いだ。

 

 

種の保存への焦りが、かえってその道を阻んでいるオスとして絶望的な私は最終、ある一つの地点にたどり着いた。

 

それはあきらめだ。

 

つまり生物的役割の放棄だ。

ここ一年間の底なしの孤独が、女性への性的感情を恐怖に変換することを可能にした。

 

いや、実際は非常に不安定な物で、そもそも性的感情を抱けるタイミング自体少なかったからこそ可能だったと、今となっては言える。

 

つまりそんな不安定な自己暗示によって己を抑え込んでいた日々の中、詳しくは言えないがとあるバックグラウンドも相まった美少女を混ぜ込んだことによって異常な精神の動きを見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

店を出て、デカビタを持って近くの公園で一息ついた。

私は別の人生を想像していた。

その人生の主人公は、特に突出したこともない普通の男子高校生だが、特別出来ないことがあるわけでもない。

本人は自分が平凡であると思っているが、それなりに幸せにしている。

その人生ならばあるいは美少女といたかもしれない。あるいは孤立することもなかったかもしれない。

躁病じゃない、多動症じゃない、緘黙気味じゃなく、睡眠障害じゃなく、空気の読める真人間……、そしてそれは全くもって自分では無いことに気が付き現実に引き戻される。

次に、走馬灯のように人生が流れた。

実に色に欠ける記憶群だった。

 

それが自分だと気付いた。また少し涙が出た。

 

実は現実世界には私はいない。無色透明だ。

私はここにしかいない。

もしも今森で木が倒れたとしても、誰一人として観測していなければそれは起きてないのと同じことだ。

私がすすり泣くのも、観測者は私だけだ。

 

 

 

ワタシダケユウレイ、なんつってw


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↑私の証明写真です。盛れてますね。

 

 

おわり

死ぬまでにありそうだけど多分無い事象紹介

天狗Aでした。こんにちは。

 

タイトルのとおりです。

 

1.ブラック・ブレット完結

作者が失踪したライトノベル。抜群に面白かった記憶。もう十年弱経つ頃じゃないだろうか。

 

2.ガブリールドロップアウトアニメ2期

個人的に好きな作品で、漫画で追ってた物の最近アニメを見てみたりして面白かったのだが、放送から5年ほとんど音沙汰も無さそうなのでこれはなさそう。

 

3.幻獣契約クリプトラクト2

何回だって言ってやる。僕が好きだったソシャゲで今はサ終してしまいました。

ですが、コアな層に絶大な人気を誇る良作ですから、必ず戻ってくるでしょう。

 

4.幸せな明日

明日から新学期!いじめられないといいなぁ…!

 

おわり

うわぁァァァァァァァァァァァァァあァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ?

 

オチソチソ

 

ウー、ワオ!

 

 

女神降臨


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(撮影はアフロじゃなくて俺。オフロ)


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ジョチョ!!

クソ

こんにちは。天狗Aです。

 

春休みです。依然、寝たきりでぼっち・ざ・ろっく!とかいう神アニメを見ながら自分もギターを弾いて、たまに下北沢に出向いては何もせずに直帰するだけの日々である。

(デッドデッドデーモンズ以下略前編を見たりもした)

 

または、自分でも何故やっているのか分からないインスタグラムとかいうクソアプリで知りたくもない中学の同級生の近況を見ては一人で大暴れしながらこいつはつまんねぇとかこいつは痛ぇとか言いながら自分もカスみたいな投稿をしては自己満足するだけの日々である。

 

当初の予定では勉強でもするかと、この春が私の勉強元年だ!と意気込んではみたものの数学の課題テキストの一問目から驚くほど解けない、しかもそれを理解する為の気力なんて生まれ持ってないので、課題のことは心の内から膀胱へ押し流して、昨昨々晩排泄したところだ。

 

または先ほど友人から電話がかかってきて、お前はお前のために曲を作れとか意味のわからない事を言われ、カスが偉そうにと思いながらもおニューのいんたぁふぇいすに数日間握りっぱなしで弦が変色したギターを接続してソフトを開いて録音してみるも驚くほど上手くいかず、最終的に全部グチャグチャにしてはデータを削除した。

 

そんな事をやっていたせいでこんな時刻(0時14分)に風呂に入るハメになった。

折角生活習慣が安定(薬物有りき)してきたというのにまた壊れるんだ。

クソが。

何も上手くいかないじゃないか。

 

歩いてきた道振り返ると〜。


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不満。

 

ALCHEMY!?こんな終盤で!?

 

下北沢の公園でギター背負ってブランコこいでたら虹夏ちゃんに話しかけられないだろうか。(反語略)

 

 

……………。

 

周りを見回してみると、私みたくほとんど一人で過ごす人って少ない。何故ならば高校生だから。

人生で特段楽しいとされる学生期間だが、私が楽しかったのは中3の夏以降ぐらいのものだ。

他の期間について思い出す事は、辛かった事や思い出したくないことばかりだ。

 

ぼっち・ざ・ろっく!を見ていて、一番違和感を感じた事は、後藤ひとりを取り巻く環境だ。

後藤ひとりに対して無条件で興味を持ち、そして親切で察しが良い。

そりゃフィクションだから当然だと言うのも分かる。正論だ。退屈な正論だ。

しかしながらあの作品の主人公はサブカルナードボッチ(造語)という設定で、私には割と共感できる事が多いからこそ乖離に違和感を感じるのだ。

 

あの作品に言えることだが、つまり一人ぼっち人間は受動でしか変われないという事だ。

だから私も、今を変えるにはギターを背負って下北沢の公園のブランコをこぐ事しかないという事だ。

 

クソが。