どーも天狗Aです。コードギアス途中まで見ますた。
今日は髪を切ります。
正面からだと分かりづらいんですけどかなりのびてるんですよね。
なので切りに行きます。
今までなぜ髪を切らなかったのか?
疑問に思う人もいることだろうから説明しましょう。
髪を切る、という行為自体は嫌いではない。
正直前髪以外はかなり鬱陶しいし、通気性が悪いから夏場はかなり暑い。
だから髪は短いほうがいいだろう。僕もそう思いますよ。
でも髪を切りに行くのは嫌いだ。一見矛盾してるようにも見える。
そもそも、髪を切るという表現は、意味的には間違っている。
髪を『切ってもらう』のほうが正しいと思う。
そこが第一の問題だ。
根っからのコミュ障の僕にとって髪を切ってもらうというのは緊張するなんてレベルの話を超越している行為だと考えられる、というか実際にそうだった。
そもそも美容院は美容師さんと楽しくおしゃべりをしつつ、髪を切ってもらう場所と言っていいだろう。実際そうだしな。
その状況下、僕はお得意のコミュ障を発揮して美容師さんと全く話さずに鏡をじっと見つめるだけ。
正直かなり気まずい。
今この記事は美容院までの移動中(美容院まではかなり距離がある)に書いているのだが、行きたくなくなってきたな。
他にも長めって言ったのに短すぎじゃね!?ってなったり、かゆいところあっても言えるわけねーじゃん!とかあるんですが、やはり問題はマスクを外さなきゃいけないってことですよね。
言っておきますが僕はマスク警察ではないのですが、人前でマスクをするのがとても嫌いなのです。
きっかけみたいなものは四年前、世間がコロナウイルスがどうとかなるはるか前、僕がまだニコニコ以外でインターネットに触れていなかったころの話です。
あのとき、なんとなくマスクをしたとき、ものすごくしっくりきて、その日からたぶんマスク外して外出たことないですね。
まあつまり時代を先取りしてたわけです。一足先に毎日マスクをする生活をしていたってことで。
ここまでは髪を切っている最中の問題点です。
次は髪を切ったあとの話です。
「天狗A、髪切った?」
の言葉が一番嫌い。見りゃわかるやろってなる。
あとなんか切ったよっていうのなんか恥ずかしい。
これが一番の問題です。
と、ここまで話してきましたが、そろそろ髪を切る時間が迫ってきました。
どんな髪型にするか決めてねー。
切った
おわり